「無意味なルール? 上等だよ! とブチギレたいアナタに伝えたいこと」

ルールなんてクソくらえ!納得いかないそこのアナタへ ライフハック

「廊下を雑巾がけしましょう」「会議資料を10部コピーして配りましょう」
──いやいや、これ本当に必要? とツッコミたくなるような“よくわからないルール”って、
学校でも会社でもゴロゴロ転がってますよね。
誰が決めたのかすら分からないのに「やらないとダメ」って言われると、
つい心の中で(え、いっそ無視してみようかな…?)なんて悪魔のささやきが沸きあがる。

でも、もし本当に無視したらどうなるか。
クラスメイトや同僚から白い目で見られ、
評価ガタ落ち、居場所がなくなる──
最悪の場合、自分だけ人知れず“社会の窓”からポイッと放り出されかねない。

こんなのおかしい! いや、めちゃくちゃわかるんです。
だけど残念ながら、多様性がどうとか言われる今の時代でも、
結局は「国や自治体、学校や会社の枠組み」に従わないと
あっという間にハードモードへ突入してしまうのが現実。

というわけで本記事では、
「納得いかないけど守らないとヤバい無意味ルール」
との付き合い方について考えてみたいと思います。

1.「納得いかない!」が爆発しても、世界は変わらない!?

自分では「なんでこんなことやらされるの?」と疑問に思うルールって、本当にたくさんありますよね。
学校なら「掃除当番」や「体育祭のムダに厳しい応援練習」、
会社なら「よく分からない社内稟議」や「当たり前のように作る膨大な資料」。
いちいち疑問をぶつけようものなら、「え? なんで文句言うの?」と逆に攻められることもしばしば。

それでも多様性だのダイバーシティだの言われる時代、
意見を言いやすくなったのは確か。SNSが普及して、
「あの無意味なルール撤廃しろ!」と叫ぶハッシュタグも見かけたりする。

とはいえ、そんな声がすぐに世界を変えてくれるかというと、
現実はそう甘くないんですよね。
国や自治体、会社の上層部が「はい、わかりました~」なんて素直に言うシーン、見たことあります?
たいていは「うん、それは検討しておくよ(何もしない)」ぐらいで終わるのがお約束。
つまり、やっぱりこっちの“納得いかない”なんて、そう簡単には通らないというのが本音なのです。

2.かつては優等生だった(!?)私の大転落

ここでちょっと私の恥ずかしい黒歴史を披露しましょう。
小・中学生の頃は天才ぶって「テスト90点以下? そんなのゴミ!」とまで言い放つほど、成績至上主義だったんです。
でも高校に入ったとたん、「物理の赤点」というパンチをくらい大ダメージ。
プライドは粉砕骨折ですよ。

さらに追い打ちをかけるのが、予習必須の厳しい数学の担任先生。
「これ、あらかじめ予習してこないと、授業ついていけないよ?」なんて言われても、
私としては「え、ならわざわざ授業受ける意味ある?」と斜に構えてしまい、
完全にブレーキ踏みっぱなしになっちゃったわけです。

結果、赤点上等、成績急落、志望校ランクもドーンと落ちる…。
あんなに勉強大好きだった自分はどこへ行ったのか。
「納得できなーい!」と反抗していたら、
結局一番損したのは自分だったんだと、今でもちょっぴり悔やんでいます。

3.ルールに逆らうと、私たちの居場所はどこに?

ここで考えてほしいのが、「ルールに逆らう=居場所が消える」という構図。
社会って、いまだに「集団生活を円滑に回すためのルール」が山ほどある。
会社や学校はもちろん、自治体レベルや国レベルの仕組みもそうだし、
細かいところでは近所づきあいだって暗黙のマナーが存在する。

「そんなの無意味だし!」「やりたくない!」と真っ向勝負すれば、
そのコミュニティの外に放り出されるか、
少なくともハブられて立場が悪くなるリスクは高い。
「多様性を認めよう」と言われていても、最終的に決定権を持っているのは“偉い人”たち。

もちろん、「だったら出てってやるよ!」と山奥に自給自足の旅に出る方法もある。
でも大多数の人は、文明の恩恵を手放して野生に生きる覚悟はなかなか持てないですよね。
つまり、社会のルールに納得できなくても守らなきゃいけない部分があるのは、
居場所を守るためでもあるわけです。居場所がないと詰みます。

4.納得できないルールでも、メリットはある…かも

そもそも、ルールって何のためにあるのか?
と聞かれれば、たいていは「安全のため」「社会をスムーズに動かすため」と答えが返ってくる。
日本の場合、教師や政府をいくら批判しても投獄されるわけじゃないし、
公共サービスや医療保険にも支えられている。
これは、ルールという枠組みががっちり整備されているからこその恩恵とも言えます。

もちろん、ムダなルールもあるでしょう。
でも、全部いきなりなくそうとしたら混乱が起こったり、
本当に必要なサービスまで崩壊しちゃうかもしれない。

だからこそ、「納得はできないけど、とりあえず守る」という選択も、
自分の居場所やメリットをキープするうえで大切な戦略になるわけです。

5.結論:こだわりすぎるな、でも見失うな

「無意味なルール」に対して叫びたくなるのは誰しも同じ。
だけど、それが変わる保証はどこにもないし、
すべてを否定すれば逆に自分の生存基盤を壊してしまうリスクもある。

とはいえ、ただ黙って服従するだけじゃストレスフルだし、
自分らしさを失いかねない。
だから、「ここは妥協するけど、ここは譲れない」みたいなラインを
自分なりに引くのが一番賢い。

納得できないものを全部排除することは現実的に難しい。
でもそのルールの中で「どうやって自分が得をするか」を考えたほうが、
結果的に疲れないで済むのは確か。
昔の私も「じゃあ予習、サクッとやるか!」ぐらいの軽いノリで取り組めば、
あのヒリヒリした挫折感も味わわずに済んだかもしれない。

6.最後に:社会の中で生きてる以上、完全自由は夢のまた夢

たとえ「多様性を尊重しましょう!」と言われていても、
社会には絶対に壊せないルールがまだまだある。
そこに納得感を求めすぎると、結局は“自分が疲れて損する”ことが多いのが現実だ。

もちろん、理不尽な決まりには声を上げることも大事。
だけど、すべてにケンカを吹っかけていては息が詰まるばかり。
「社会の中で生きる」ということは、“納得できなくても従う”部分を
ある程度抱える覚悟が必要なんだろう。

そのかわり、ルールを活用すれば多くの恩恵が受けられる。
会社員なら給与・保険・福利厚生、学校なら勉強機会や社会的信用、
自治体レベルならインフラや医療サービスなどなど。

最終的には、自分でルールと折り合いをつけて“自分らしさ”を発揮する場所を探すのが一番賢いはず。
すべてが納得いかないからといって、野生に戻るのは難しい。
ならば、どうせこの“ルールまみれ”の世界にいるなら、
「無意味に見えるルールからでも、うまく得をする」
そんな生き方を目指してみるといいんじゃないだろうか。

以上、私の失敗談を盛大に盛り込みつつ、
無意味なルールとどう付き合っていくかのお話でした。
タイトルに惹かれてここまで読んでしまったあなたも、
次に「このルール、何の意味があるの?」とぶつかったとき、
ちょっとだけ冷静に“社会的コスパ”を考えてみてほしい。
きっと、意外とラクな道が見えてくるはずだから。

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